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前編では、中学1~3年生までをサドベリースクールで過ごした道さんにお話しを伺いました。
実は、私はもうひとつサドベリースクールについて気になっていたことがありました
以前、「公教育を離れて過ごした日々 『オルタナティブスクール」とは』という記事を読んだとき、ある一文に衝撃を受けたのです。
「ボストンのサドベリーでは入学時、『もしかしたら、お子さんが20歳になった時に字が読めないかもしれません。それでも、子どもを尊重できますか』と尋ねるそうです。(八ヶ岳でも)もし、本人が興味を持たなければ、何の知識もなく巣立つ可能性があります」
子どもの主体性に任せるとは、ある意味見守る側にも覚悟が必要。「こうなってほしい」という期待とは正反対の方向に子どもが向かってしまっていくこともあります。
きっと心配なことも、不安なこともたくさんあったのではないでしょうか。3年間道さんをそばで見守ってきた父親の蓑田雅之さんにお話しを伺いました。
(聞き手:八ツ本真衣・岡本実希 写真:八ツ本真衣)
ゲームばかりする息子を見ていて、気づいたこと
道は、小学校2年生まで普通の公立に通っていたんです。でも、学校の様子を聞いても、ほとんど何も話さなくって。本人に聞くと「小学校がつまらない」と言うんですね。
道さんにお話しを伺ったときも、「答えが最初から用意されていてそこに誘導されていく雰囲気が好きじゃなかった」とおっしゃっていました。
楽しく学校に通ってほしいという思いが強くて、一緒にほかの学校を探しに行って。見つけたのが「東京コミュニティスクール」という場所でした。
テーマ学習を通して、いろいろな場所に出かけて話を聞き、自分の頭で考える。それが本当に楽しそうでしたね。
楽しそうに学んでくれているのがいちばんですよね。
とはいえ、そこは小学校なので6年生までしか行けない。中学進学にあたって、公立も私立もとにかくいろんな学校に見学にいきました。そのなかで、サドベリースクールにも足を運んだんです。
最終的に、道に「どこに行きたい?」と聞いたら「サドベリースクールに行きたい」と。
本人が決めたんですね。授業もテストもないというサドベリースクールに決めることに心配はなかったんでしょうか。
もちろん、ありましたね。本人が入ると決めたんだから、それを尊重しようという気持ちはありました。でも、サドベリーは学習指導要領に基づいた授業を行っているわけではないので、卒業資格がもらえません。卒業しても、学歴としては中卒になるんですね。
そのときはまだ、社会に出て行くためには一生懸命勉強をして高校出て…というイメージがあったので、やはり不安はありました。
そういうイメージ、ありますよね。
それに、入ってみたら道は一切勉強はせずに、学校でも家でもゲームをしていて。
本当に本人の好きにさせて大丈夫なのかなという不安が1年間くらいずっとつきまとっていました。妻とも「普通の公立中学に行かせた方がよかったのかな」なんていう話もしたくらいで。
そんななかで、この期間にはどんな意味があるのだろうと、サドベリースクールの理念などについてもとことん調べましたし、自分でもすごく考えました。そしてあるとき、ふと気づいたことがあったんです。
どんなことでしょうか?
これは道の人生なのに、なんで親がこんなに心配する必要があるんだろうって。これはすべて本人の考えるべきことなんじゃないか、と。
なるほど。
こう考えるようになった背景には、サドベリースクールで大切にされている考え方も影響していて。それが「子どもを子どもとして見ない」というものなんです。
子どもを子どもとして見ない…
はい。親が子どもを心配するのって、親が大きい存在であり、子どもが小さくて頼りない存在だという前提があるんだと思うんです。
でも、実は子どもって本当は自分で考える力があるんですよね。ましてや中学生ぐらいになったら、大人と同様に考える力くらい持っているはず。むしろ親が先回りして「こうしなさい」ということは、子どもの考える力を奪ってしまうかもしれないんです。
そう考えてから、なおさら「これをしなさい」と押し付けるのは違うと思うようになりました。
「好きなことを見つけること」が正解ではない
何をするかは本人の自由。そう思うようになってから楽になったという蓑田さん。中学2年生になると、道さんに変化があらわれます。ある本にであった道さんは政治活動をはじめ、活動のために国語や歴史などを積極的に学ぶようになりました。(前編はこちら)
ゲームより面白いものが見つかったと言ってましたね。政治活動を始めたんですが、仲間と話していると知識量が全然違う、と。それで、本を読んだり、自分なりに勉強をはじめたみたいです。
自由な時間のなかで自分の好きなものを見つけて、学んでいけるのって素敵ですよね。
うーん…
うーん?
でも、それが一概にいいとはいえないんじゃないでしょうか?親としてはやっぱり「好きなものを見つけて学んでほしい」という思いもあるけど、そういう「理想の人間像」を親が描くのも違っていると思っていて。
サドベリーでずっとゲームやっていたとしたらそれは駄目な人なのかというと、そんなことはないと思うんですよ。
好きなこと見つけて、そのために学べることが正解ってわけではないってことですか。
もちろんそれもいいけど、そうじゃないと価値がないってことではないってことですね。大切なのは、親が「理想の人間像」を描いて、その通りになってくれたらいいなと思わないことだと思うんです。
例えば、僕が岡本さんに「こんな人になってほしい」と言ったら、なんで知らない人にそんなこと言われなきゃいけないんだって思いますよね。
そう感じるのは、どんな生き方であっても、正解かどうかは本人が決めることだからだと思うんです。
「道」という人がいて、どんな人生を歩もうとそれは本人の意志。親が「こうなってほしい」という余計な欲望をもつべきではないし、それを手放した時に、子どもは初めて自分で幸せになる権利を手に入れるんだと思います。
たしかに無意識的に親は「こうなってほしい」っていうのを子どもに押し付けてしまう気がしますよね。でも、実際親になったら、そういう欲望をもたないのって、すごく大変なんだろうなって思います。
それは、やっぱり大変でした。子どもが生まれてみるとわかるけど、子どもってめちゃくちゃ可愛い。やっぱり幸せになってほしいと思うし、心配にもなる。だから「こうあるべき」というのを押し付けようとしてしまうんですよね。
こう考えるようになるまでには、無意識にこびりついたものをひとつひとつ引き剥がすような作業が必要でした。でも親がやるべきことは、期待を押し付けることじゃなくて、「そのままでいいよ」と子どもを認めてあげること。そうしてはじめて子どもは安心して自分の人生を生きることができるんじゃないでしょうか。
「学校に行く」ことだけが正解じゃない
自分の意見を子どもに押し付けてしまいがちな親御さんって、親自身も世間のルールを気にして「こうあらなければならない」と強く思っている人が多い気がしています。
蓑田さんが道さんに「自分の好きに生きてほしい」といえるのは、蓑田さん自身が世間からの「こうあるべき」という目から解放されているからなのかなと思うんです。
たしかに、ずっとフリーランスで仕事をしてきたので、世間的な目線からはわりと自由だったかもしれないですね。
僕は、大学卒業していざ就職しようと思って何社も受けたんですが、全然受からなくって。その時に僕は会社には向いてないのかもしれないって思ったんです。
そこから、自分で生きていくためにはどうすればいいかということを考えて、今の仕事であるコピーライターをフリーでずっとやってきた。
フリーランスでやっていて学歴を聞かれたことって一度もないし、勉強ができるかどうかはあまり重要ではない。だから必ずしも大学を出なくても好きなことを突き詰めていけば、それなりに食っていけるっていうのを感覚として知っているのかもしれないですね。
それは子どもを見守るうえで、余裕につながりますよね。
以前お話を伺ったオルタナティブ教育を実践されている方も「この時代、自分で仕事を作れるし、学校に行かなくてもなんとでもなる」とおっしゃっていました。
それは本当にその通りで、学校行かないと生きていけないと思っていると、子どもがつらそうにしていても行かせなきゃいけないと考えてしまう。
でも、それ以外にも方法はあるはずなんです。本人が楽しんで学校に行けていたらそれはそれでよくて、でも本人が苦しんでいるときに「必ず学校に行かなくてはいけない」という選択肢しかないとつらいですよね。
これから社会だってどんどん変わっていくから、世間の「こうあるべき」がずっと通用するかもわからないですよね。
そうそう。今は会社勤めの人も多いけど、これからは一人ひとりがやりたいことをやっていて、何かやりたい時だけ自由に集まるみたいな会社や社会のありかたになっていくかもしれない。
そう考えると今やるべきとされている「勉強」のほうが時代遅れになっていく可能性もありますよね。
そう。だから社会がどんな状況になろうと、その子なりの天才性を発揮して生きていけることが一番いいんじゃないでしょうか。社会で優れたことを天才というわけじゃなくて、天からもらったものが天才。みんなが自分の中の「天才」を見つけて生きていってくれればいいなと思います。
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蓑田雅之さん
フリーランスコピーライター。息子の道さんがサドベリースクールに通い始めたことをきっかけに、「保護者とは何か、子育てとは何か、学校とは何か、教育とは何かなど、さまざまなことをを探究し、その学びの成果を共有するメディア「おはなしワクチン」を開設。イベントなどを通して、多様な教育機会について発信。
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“「子どもにとって何が幸せか」を親は考えなくていい。サドベリーに通う子どもの親が考える幸せの意味” への1件のフィードバック
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